古今知恵比べ

歴史に学ぶ情報リテラシー:古今デマと現代SNSの類似性

Tags: 情報リテラシー, デマ, フェイクニュース, 情報伝播, 歴史, SNS, 社会心理

導入:情報化社会の光と影、そして歴史の知恵

現代社会は、インターネット、特にソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の普及により、かつてないほど情報が高速かつ広範囲に拡散されるようになりました。これにより、世界中の出来事を瞬時に知ることができるなど、多くの恩恵を受けています。しかしその一方で、真偽不明の情報、意図的なデマやフェイクニュースが瞬く間に拡散され、社会的な混乱や分断を引き起こすという深刻な課題にも直面しています。なぜ人はデマを信じ、拡散してしまうのでしょうか?そして、この情報過多の時代において、私たちはどのように真実を見抜き、適切に行動すれば良いのでしょうか?

このような現代の課題を考える上で、私たちは過去の歴史に目を向けることができます。情報伝播の形態や技術は変化しましたが、人々が情報を取得し、信じ、他者に伝えるという人間の本質的な行動様式や、社会が情報によって影響を受ける構造には、時代を超えた普遍性が存在するからです。歴史上のデマや誤情報の拡散事例を紐解くことで、現代の情報社会が抱える問題の根源が見え、今日に活かせる知恵や示唆を得られるはずです。

過去の事例・知見の掘り下げ:歴史上のデマとその影響

歴史を振り返ると、情報伝播の技術レベルに関わらず、様々な形でデマや誤情報が社会に影響を与えてきた事例が数多く見られます。活版印刷術が発明される以前の時代では、情報は主に口頭伝承、写本、あるいは公的な告知(布告など)によって伝えられました。この時代においても、噂話や流言飛語が人々の不安や疑念を煽り、特定の集団への迫害や社会不安を引き起こすことがありました。例えば、中世ヨーロッパにおけるユダヤ人や「魔女」に対する根拠のない噂が、集団ヒステリーや迫害に繋がった事例などが挙げられます。

印刷術の登場は、情報伝播のスピードとリーチを飛躍的に向上させました。16世紀の宗教改革期には、ルターの思想だけでなく、カトリック教会や特定の人物に対する批判的なパンフレットや風刺画が大量に印刷・配布され、大衆の感情を揺さぶりました。これらの情報の中には、事実に基づかない誇張やデマも含まれており、既存の権威への不信感を増幅させ、社会運動を加速させる一因となりました。当時の人々は、印刷された情報に権威を見出しやすく、情報の真偽を確かめる手段も限られていたため、これらの情報に強く影響されました。

近代に入り、新聞、ラジオ、テレビといったマスメディアが登場すると、情報はさらに広範囲かつ瞬時に伝わるようになります。特に戦時中など、社会全体の緊張が高まる状況下では、政府や軍部によるプロパガンダと結びついたデマが流布されました。敵国の残虐行為を誇張したり、自国の優位性を偽ったりする情報が、国民の戦意高揚や特定の集団への敵意を煽るために利用されたのです。これらの事例からは、情報が感情や集団心理に強く働きかける性質を持つこと、そして情報の受け手が置かれた社会・心理的な状況が、情報の受容に大きく影響することが見て取れます。古来、権力者や扇動家は、人々の不安や願望、偏見といった感情に訴えかけることで、意図的にデマを流布し、自己の目的を達成しようとしてきたのです。

現代の課題との関連付け:SNS時代のデマ拡散と歴史の共通点

現代のSNSは、情報伝播のスピードとリーチにおいて、歴史上のどのメディアをも凌駕しています。個人が容易に情報発信でき、瞬時に無数の人々と繋がれるようになったことは画期的ですが、これは同時に、デマや誤情報が瞬時に拡散されるリスクを極限まで高めました。

歴史上のデマ拡散と現代SNSにおけるフェイクニュースの問題には、驚くほど多くの共通点があります。

  1. 感情への訴えかけ: 歴史上のデマと同様、現代のフェイクニュースも怒り、恐怖、共感といった強い感情を揺さぶる傾向があります。感情的な情報は、理性的な情報よりも早く、強く拡散される傾向があります。SNSのアルゴリズムも、エンゲージメント(「いいね」やシェア)を高めるために感情的なコンテンツを優先することが指摘されています。
  2. 権威や信頼性の悪用: 過去には印刷物や公的な告知が権威として利用されましたが、現代では著名人のアカウント、あたかも信頼できるメディアであるかのように装ったウェブサイト、あるいは「関係者筋によると」といった表現などが、情報の信憑性を偽装するために利用されます。
  3. 情報の選別基準の曖昧さ: 誰もが発信者になりうるSNSでは、情報の「公式性」や「信頼性」の区別がつきにくくなっています。歴史上、印刷術が登場した際に、写本のような伝統的な権威が薄れ、印刷物に対する新たな信頼性判断基準が必要になったのと似た状況と言えます。
  4. 集団心理と同調圧力: 過去の村社会や特定の集団における噂話と同様、SNSでも「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」といった現象により、似た考えを持つ人々の中で情報が閉鎖的に循環し、デマが増幅・固定化されやすくなっています。多くの人が信じているように見える情報は、真偽に関わらず信じられやすくなるという同調圧力も働きます。
  5. 社会不安や分断の背景: 経済格差、政治的不信、将来への不安など、社会に閉塞感や分断があるときほど、人々は単純化された説明や特定の scapegoat(生贄)を見つけようとしがちです。歴史上のデマが社会不安を背景に拡大したように、現代のフェイクニュースもまた、こうした社会状況に乗じて拡散される傾向があります。

技術は変わっても、情報を発信する側が人間の心理や社会構造の脆弱性を悪用し、受け手側が自身の感情や所属するコミュニティの影響を受けやすいという点では、歴史も現代も本質的に変わらないと言えるでしょう。

解決策への示唆・考察:歴史から学ぶ情報リテラシー

歴史上のデマ拡散事例は、現代の情報問題に対する重要な示唆を与えてくれます。それは、単に技術的な対策(プラットフォームによる監視や削除)だけでなく、情報の受け手である私たち一人ひとりの側に、情報とどのように向き合うべきかという「情報リテラシー」の力が不可欠であるということです。

過去の経験から得られる、現代に活かせる情報リテラシーのヒントは以下の通りです。

  1. 批判的思考力の養成: 情報の真偽を鵜呑みにせず、「誰が」「なぜ」「どのような目的で」その情報を発信しているのかを常に問う習慣をつけることが重要です。歴史上のプロパガンダ分析は、情報発信者の意図を見抜く訓練となります。
  2. 複数情報源の確認: 一つの情報源だけでなく、複数の信頼できる情報源にあたって事実を確認することの重要性は、歴史上、印刷物が増えた時代から認識されていました。現代においては、伝統的な報道機関、専門家の見解、公的機関の情報など、異なる立場の情報源を参照する手間を惜しまらない姿勢が必要です。
  3. 感情に流されない冷静さ: 強い感情を伴う情報(怒りや恐怖を煽るもの、感動的な話など)は、真偽の判断を鈍らせる可能性があります。情報を受け取った際に自身の感情がどう動いたかを意識し、一度立ち止まって冷静に内容を吟味することが求められます。
  4. 情報の背景にある文脈理解: 情報が発信された時代や社会の文脈、特定の集団の歴史や置かれた状況などを理解しようと努めることで、情報の真偽や意図をより深く見抜くことができます。歴史研究が重視する「文脈」への注意は、現代の情報理解にも役立ちます。
  5. 自身の情報発信への責任: 現代社会では誰もが発信者になりえます。歴史上、デマの拡散が深刻な結果(社会混乱、迫害など)を招いてきた事実を認識し、不確かな情報を安易に拡散しない責任を持つ必要があります。

これらの要素は、新しい技術が登場するたびに、形を変えながらも常に情報社会の課題として浮上してきたテーマです。歴史上の人々が、限られた手段の中でいかに情報の真偽と向き合おうとしてきたかを知ることは、現代の私たちがより強固な情報リテラシーを構築する上での指針となります。

結論と展望:歴史から学び、賢明な情報社会を築くために

現代社会におけるデマやフェイクニュースの問題は、新しい技術が生み出した全く新しい課題のように見えます。しかし、歴史を紐解くと、情報の真偽を見極め、誤った情報が社会に与える悪影響を防ぐという課題は、情報伝播の技術革新のたびに人類が直面してきた普遍的なテーマであることがわかります。

歴史上の様々なデマ拡散事例や、それによって引き起こされた悲劇から学ぶべきことは、「情報は常に批判的な視点で受け取るべきである」「感情や集団心理に流されず、理性的な判断を心がけるべきである」「情報の真偽を確かめる努力を惜しまないべきである」という、情報との向き合い方に関する基本的な姿勢の重要性です。

現代のSNS社会は、歴史上かつてない規模とスピードで情報が流通しています。この環境下で、私たちは個人として、そして社会として、より高度な情報リテラシーを身につける必要があります。過去の歴史に学び、情報が持つ光と影の両面を理解すること。そして、感情に流されず、多角的な視点から情報を吟味する習慣を身につけること。これこそが、デマやフェイクニュースが引き起こす混乱から社会を守り、より健全で賢明な情報社会を築くための鍵となるのではないでしょうか。歴史の知恵は、情報化社会を生きる私たちの羅針盤となるはずです。